さすらい  沖ななも(2018年7月号)

 

 今年2月に98歳で亡くなった金子兜太さんの最後の句、9句が新聞に載っていた。9句のうち4句に「さすらい」という言葉が入っている。

  さすらいに雪ふる二日入浴す

さすらいに入浴の日あり誰が決めた

  さすらいに入浴ありと親しみぬ

  河より掛け声さすらいの終るその日

 というもの。息子さんは、周りの人たちとコミュニケーションのとれない孤独感だろうとコメントしていた。

 常に誰かと交わりをもっていた金子さんだからこそなのかとは思うが、あまりにも意外な感じがある。いやあの金子さんにもそんな思いがあったのかとも思う。いつでも故郷と近いところに居た人だと思っていた。

 人は誰でも孤独だとは思うが、それをどれほど意識するかどうかだ。また孤独感を愚痴のように口に出してしまう人もいる。ぐっと腹の底に湛えて、あえて作品の中に出していくのが文学なのだろう。

 さすらいは漢字で書けば「流離い」と書く。広辞苑によると「身を寄せる所がなくさまよう」「さまよい歩く」とある。「流離」は、「故郷を離れて他郷にさまようこと」とある。ややニュアンスは違うかもしれないが、やはり故郷というのは自分を地面に引き留めておく何かなのだと思う。

 故郷を離れている人もいるだろうが、たまに帰るとなんとなく安らぐ。むろんいろいろ理由があって「帰るところにあるまじや」なんていう人もいるが。

 今日は母の日(に書いている)。母も、故郷のようなものではないのだろうか。