縁  沖ななも(2018年2月号)

 

 私の愛する(私だけではないか)大谷翔平君!!

若いのに何となく若っぽくない。翔平の「翔」の字は使われることが多いが「平」は少ないのじゃないかな。サザエさんの波平みたいだし。

そのちょっと古い翔平君の活躍の場が、アメリカリーグのエンゼルスに決まった。実は私はエンゼルスと言われてもよくわからないのだが、まあともかく決まってよかったよかった。その記者会見で、どうしてエンゼルスに決めたのかという質問に対して「縁を感じた」と言った。「縁」という言葉が翔平君から出るとは思わなかった。若い子の使う言葉ではない。もしかしたらお爺ちゃん子かお婆ちゃん子だったのではないかな、という気がする。

「縁」とはもともとは仏教用語で、いくつかの辞書によると「あらゆる存在に固定的な実体を認めず、諸条件の寄せ集まったものと考えるが、その因果関係において因を助成する間接的原因を言う」「因によって果を生ずる作用。めぐりあわせ」「原因をたすけて結果を生じさせる作用。直接的原因に対して間接的条件」などと出ている。

ついつい男女の縁ばかりが前面に出てしまうが、けっしてそうではなく、この世はすべて縁なのだと思う。今ここに居るのも縁、この父母の元に生まれたのも、こんな職業についているのも、みんな縁なのだ。縁は大事、人生にとってほんとうに大事なのだ。さまざまな条件を選んでも縁がなければ活躍はできないかもしれない。翔平君はその「縁」の力を信じているのだと思う。経済活動だけを追うことをしない。古いからこそ知っている言葉であり、生き方に繋がるのだと思うと、何かほっとする。